トヨタ2000GTの歴史

トヨタ2000GTの歴史を紐解くと、意外なことが分かります。

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実はトヨタ2000GTはトヨタが開発製造したのではなく、オートバイメーカーのヤマハ発動機が開発と製造をおこなっているのです。

トヨタが2000CCクラスのスポーツカーつくりに悩んでいた頃、ヤマハも日産自動車とのスポーツカー開発が暗礁に乗り上げていました。

その両者が手を取り合って作られたのが、トヨタ2000GTだったのです。

1964年に開発が始まったトヨタ2000GTの担当は、プロジェクトリーダーの河野二郎、デザイン担当の野崎喩、エンジン担当の高木英匡、シャシーと全体レイアウト担当の山崎進一の4人。

開発一年目の1965年1月には、トヨタ側の関係者がヤマハ発動機に出向します。そしてヤマハのエンジニアとチカラをあわせて詳細設計を行った結果、4月末には2000GTの設計図は完成します。

計画開始から僅か10ヶ月後となる8月には試作車の2000GT第1号車が完成して、ヤマハからトヨタに送られています。

トヨタ2000GTはヤマハ発動機が生産を委託されて、鈑金・溶接・車体組立・エンジン組立・塗装の工程のすべてを、ヤマハ発動機が新設した磐田市にある9号館工場にて、すべて手作業で行なわれます。

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FRPのパーツ類担当は新居工場で、内装パネル関係を担当したのは日本楽器製造株式会社です。ボディのプレスに関係する仕事は北川自動車工業株式会社(後のヤマハ車体工業、平成5年4月にヤマハに吸収合併)が担当しています。

トヨタ2000GTはヤマハが開発から製造まで行なっているため、アンチトヨタ派からはトヨタは2000GTは自社開発ができないトヨタが、ヤマハが開発・生産したスポーツカーを買い取っていたに過ぎないといわれます。

またなかにはこれは実際には「ヤマハ2000GT」と言うべきではないのかとまで言われ、トヨタが開発・生産していないことに対しては、批判の声も多いようです。

実際に両社の開発分担というものが、厳密にはどのようなものだったのかについては諸説が流れています。しかし確かなのは、トヨタ2000GTの開発・生産について、ヤマハが著しく寄与したことは事実と言えるでしょう。

この件に関してヤマハ発動機側の発表は、2000GTの開発についての言及に対して「ヤマハの技術供与」という表現を用いているに過ぎません。

また楽器メーカーが前身であるヤマハは、材料となる良質木材の取り扱いに長けていました。この経験が、ともにローズウッド製となるインストルメントパネルとステアリングの材料供給・加工に役立っています。

残念ながら当時のトヨタはDOHCのノウハウも、本木目内装の経験も乏しかったこともあり、ヤマハの力を借りなければ、名車トヨタ2000GTは開発できなかったのです。

結果はどうであれ、トヨタ2000GTは日本が世界に誇る名車として歴史にその名前を刻んでいます。

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