2000GTが単純に見た目を追求したスポーツカーではなく、内的な面でも優れていたことが伺われます。
まずトヨタ2000GTのシャーシは、ジャガーやロータスでも採用されている
X型バックボーンフレームを採用しています。
現代ではモノコックが当たり前ですが、この時代はボディと別体のシャーシを採用する方法が取られていました。
トヨタ2000GTはその低重心高剛性なシャーシに、本格的な四輪独立懸架を採用しています。
しかも前後ともにコイル支持のダブルウィッシュボーンを奢っています。
まさにトヨタ2000GTは、その見た目のエクステリアデザインだけではなくて、
走りの性能でも本格的スポーツカーとして設計されていたのです。
この足回りを操るステアリングはラック&ピニオン式。
ブレーキは日本車初となる4輪ディスクブレーキを採用しています。
]]> 2000GTのエンジンは、後にスープラやソアラにも搭載されるM型ファミリーの、3M型が採用されています。本来直列6気筒7ベアリング式のSOHCに、ヤマハが開発したDOHCヘッドを乗せ変えた名機です。
このエンジンは現ミクニの三国工業がライセンス生産した、ソレックス型のツインキャブレターを3連装。
グロス値ながらも、150ps/6600rpmを発揮して当時としては最強の性能を誇っていたのです。
さらに5速マニュアルのトランスミッションは、フルシンクロで0-400m加速は15.9秒を実現。
最高速度は220km/hで、最高巡航速度は205km/hを誇り、200キロの壁を突破しています。
当時のレベルとしてはトヨタ2000GTのスペックは必要にして充分なもので、
カリカリにチューニングは施されていません。
これは2000GTがあくまでもロードゴーイングカーであり、
決してレーシングカーではないことに由来するようです。
スポーツカーとしての美しいデザインと、必要にして充分な性能を持ちあわせる。
トヨタ2000GTが求めたものの答えは、どうやらそこにあったようです。
]]>レースにも投入され、ライバルの日産スカイラインGT-Rを驚愕する走りを披露していました。
スープラA80系に搭載されたエンジンは、クラウンと同じ225psの2JZ-GE型、
アリストと同じ280psの2JZ-GTE型ツインターボの2種類です。
トヨタらしく複数の車種に同じエンジンを積む手法ですが、スープラにはほかのモデルと違うMTが存在しています。
発売当時は認可が取れなかった17インチタイヤも、94年8月に認可を受け6速のマニュアルトランスミッションも手にいれています。
今では考えられないような、トヨタがスポーツカーに本腰を入れていた時代。
その寵児こそが、A80系スープラであり、モータースポーツでも活躍していたのです。
また1997年にはターボエンジンがVVT-i化され、さらに走りに磨きがかかっていきます。
またサスペンションにも見直しが加わり、よりA80系のスープラは熟成を深めていくのです。
ちなみにA80系スープラのエンジン開発には、ヤマハ発動機の協力がありました。
これは名車トヨタ2000GTから続く、トヨタ-ヤマハラインの結晶なのです。
]]> しかし販売面からはミニバンブームに押され、2002年の8月には平成12年排ガス規制に適合できず。同じエンジンのアリストが適合している中、トヨタはスープラの適合を見送って生産を終了してしまったのです。
スープラはトヨタ3000GTのセリカXXを継ぐ系譜、そのスポーツモデルを業績から見送ってしまったトヨタ。
世界的な自動車生産数では目を見張るものがあるものの、
スープラを生産を終了したことに憤りを感じるトヨタファンも多いでしょう。
同じ時期に生産を終了した、ライバルの日産スカイラインR34GT-R。
日産は2008年にGT-RをV6エンジンで復活させ、レースでも抜群の強さを発揮しています。
果たしてトヨタはスープラを、ファンにたいしてどのような答えを出すのか?今後の注目課題となりそうです。
]]>1972年のTE27型から始まったカローラレビンの歴史も、残念ながらAE110/AE111を持って終了してしまいます。
スポーツカーが売れなくなる時代であり、ミニバンへと自動車販売が移るにつれ、
レビンも残念ながら最終世代を迎えるのです。
もっともトヨタはピンゾロやゾロメと呼ばれるAE111型に対して、先代よりも70キロ程度の軽量化を施します。
スーパーストラットサスペンションも引継ぎつつ、黒ヘッドと呼ばれる165PSの4A-GE型エンジンを搭載されています。
レビン本来のライトウェイトスポーツカーしての面を、AE110/AE111型では主眼においてトヨタは開発していたようです。
もっとも内装が先代のレビンよりも劣るなどといわれ、それに対しては後期モデルで
AE110/AE111型に、トヨタは答えを出しています。
またこの頃はハイパワー戦争もひと段落し、スーパーチャージャー付きのモデルは廃止されます。
グレードもGT系が廃止されて、BZ系へと統一されます。またBZ-VとBZ-Gのスーパーストラットサスペンション車は、ヘリカルLSDがMTに装備。
走りの面での充実がAE110/AE111型のレビンには施され、最後のライトウェイトスポーツカーとして、開発陣も力を注ぎます。
最終モデルではボディがGOAを採用し、安全性もさらに充実。それでもレビンを取り巻く、スペシャリティーカー市場の冷え込みは大きなもの。
2008年にカローラがE120系に進化する中、レビンはその歴史に幕を下ろしています。
20世紀にクルマを運転する楽しみを、カローラという大衆車をベースに開発されたレビン。
スポーツカーの入門もモデルとして、トヨタにはいつしか復活させてほしい車のひとつです。
]]>トヨタにとってはスポーツカー需要が少なくなり、このZZT230型をもってセリカの歴史を終了させています。
デザインはロングホイールベースにショートオーバーハングが特徴的。
それまでの丸みを帯びたデザインから、シャープなデザインへと変更されています。
またセリカといえばGT-Fourが気になるところでしたが、最終モデルはFFのみ。
エンジンも2000ccから1800ccへと変更されています。
ZZT230型にはコンバーチブルモデルも存在せず、それまでのセリカを考えると
グレード展開が大きく変わっているのが特徴です。
それでもセリカはスポーツカーとして設計された車であり、2ZZ-GE型エンジンはVVTL-iのおかげで、190馬力を発生しています。
VVTL-iは連続可変バルブタイミング・リフト機構のことで、過給器を使わずとも高出力を発生することが可能になったのです。
]]> そして何よりもセリカにとってというか、トヨタのライトウェイトスポーツにとって、大きな節目になったのもZZT230型なのです。それは一クラス下の存在であった、カローラレビン/スプリンタートレノが、セリカに統合されたことです。
ST200型よりもボディが小型化されたり、GT-Fourが廃止されたのは、そういったトヨタの事情もあったのでしょう。
セリカにはレビン/トレノの分も頑張ってもらわなければならなかったのですが、残念ながら層も行かなかったのです。
そのような中でセリカは2006年4月に生産を終了し、約35年間続いたスポーツカーの歴史に幕を下ろします。
今後は富士重工の水平対抗エンジンを搭載して、トヨタがセリカを復活させるのでは?などといった憶測があるようですが、まだ公式には発表されていません。
仮に2000ccクラスのスポーツカーをトヨタが作ったとしても、セリカの名前が復活するのかどうか。
トヨタスポーツカーファンの一人としては、セリカの復活を期待したいものです。
]]>カローラレビンは先代モデルのAE91/AE92がバブルに乗って売れ、グループAのレース活動でもホンダシビックと争うなど、スポーツカーとして成功。
それを引き継ぐAE100/AE101型にたいして、トヨタはボディを大型化させてモデルチェンジを施します。
これはデートカーとしてはやむを得ないもので、シルビアやプレリュードなどに対し、セリカとともにトヨタが出していった答えなのでしょう。
しかしクルマは重くなれば運動性能は落ちるもの、AE100/AE101型レビンにもそういった傾向を見て取れたのです。
スタイル重視派にはありがたかった、AE100/AE101型の大型化したボディサイズ。ライトウェイトスポーツカーを好む、生粋のエンスーには受け入れられなかったようです。
]]> しかしトヨタは大きくなったボディに対して、AE100/AE101型にパワーアップしたエンジンを与えています。AE86から引き継いだ直列4気筒DOHCの4A-GE型エンジンは、VVTと呼ばれる可変バルブタイミングを持ちます。
これはホンダがシビックのエンジンを、V-TEC機能でパワーアップさせたのと同じ手法。
VVTを用いた4A-GE型エンジンは、さらに5バルブのヘッドを用意して、4気筒20バルブへと進化していきます。
またラリーでも活躍したスーパーチャージャー付きの、4AGZE型エンジン搭載車も誕生。コチラは従来と同じ4バルブヘッドですが、170PSを発揮しています。
実際の居住空間などを考えても、AE100/AE101型は2ドアのクーペとして使いやすかったクルマ。グループAでも、シビックを相手に頑張っていました。
AE100/AE101型レビンは、トイチやヤクイチの名称でも呼ばれ、FFスポーツカーとして正常進化した世代のクルマです。
]]>トヨタにとって歴代のレビンはホットな走りをする、ライトウェイトスポーツカー。
しかしAE91/AE92型レビンは、運転する楽しみを味わうこと以上に、スポーツカーとしてのスタイルを重視したともいえます。
実際に購入していたのは、走りを楽しむよりもスタイル重視派。AE86ユーザーには、あまりウケが良くなかったようです。
キューニーと呼ばれるAE92型には、先代の86と同じ4A-GEがたエンジンが搭載。発売当初は120PSでしたが、マイナーチェンジ後は140PSのハイオク仕様にアップ。
AE91型はSOHCエンジンを搭載し、5A-F型、5A-FE型、5A-FHE型が搭載されています。
85/86と同じように、走りを楽しみたい人はDOHCエンジンのAE92型を、デザイン重視で走りを求めない人はSOHCのAE91型をどうぞ。
トヨタはAE91/92型のレビンにも、ユーザー志向を明確に分けて販売をしています。もっともこの世代からは、2ドアに統一され、ハッチバッククーペはなくなります。
]]> カローラレビンにとってはAE85/AE86時代のFRからFFへと、AE91/AE92型は大きな転機を迎えたモデル。また発売は1983年から1987年と、2ドアのスポーツカー人気が高まった、バブル時代でもありました。
AE91/AE92型のデザインは、当時人気だったソアラを彷彿させるもの。デートカーと呼ばれるカテゴリーでも、絶大な支持を得ていきます。
価格面でも若者が手にしやすい価格帯でもあり、AE91/AE92型は販売面だけを見ると歴代のレビンで、一番成功を収めた世代です。
AE86はFRの走りが楽しめる分、初心者には扱いにくいジャジャ馬的な面も多少ありましたが、FF化されたAE91/AE92型は、取り扱いやすいのも販売にはプラス。
しかし自動車は販売台数が増えると、その分どうしても希少価値は無くなり物です。
AE91/AE92型レビンも中古車価格が下がり、販売終了後はAE86のような注目を浴びることはありませんでした。
レビンにとっては最初のFF車であり、AE91/AE92型は歴史の境目にあったクルマといったところですね。
]]>通常86レビンとも呼ばれることが多く、この世代のカローラレビンはAE86型が主流でした。
エンジンは新たに直列4気筒4バルブDOHCの4A-GEU型が、AE86レビンに搭載されます。それまでの2T-GEU型は2バルブのDOHCであった為、大きな転機を迎えるのです。
AE86レビンの一番大きな特徴は、FRの駆動方式を持つことです。当時の1600ccクラスはFFばかりの中、トヨタは最後のFRレビンとして86を開発。
速さだけをみればFFのライバル達にかなわないことも多かったのですが、AE86レビンは後輪駆動ならではのハンドリングが魅力。
ジムカーナやラリーなどで、後輪をドリフトさせて走るレビンには、多くのファンがついていったのです。
まさにAE86レビンは、FRのライトウェイトスポーツカーとして誰もが楽しめる自動車でした。
]]> もちろんレース活動でもAE86レビンは活躍して、デビュー戦で総合優勝を飾っています。ノーマルではあまり早くないといわれていたようですが、その素性の良さからチューニングベースにされることが多かったのです。
またAE86はカローラレビンの兄弟車である、スプリンタートレノと同じ型式になりますが、両者はフロントマスクに大きな違いを持ちます。
カローラは保守的なデザインでもあるため、AE86レビンもおとなしい顔つき。トレノがリトラクタブルヘッドランプを持つのに対し、危なげないデザインをトヨタは与えています。
実際に夜間走行などを考えると、レビンのほうが一定の空力を確保できる仕組み。ガーニッシュ構造の差もあり、モータースポーツに向いていたようです。
同時期に発売されたAE85モデルはあまり売れなかったようですが、販売終了後にチューニングベースとして飼う人が多かったようです。
AE86のようなホットな走りをしないユーザーが多く、車体に傷みが無いことがその理由だったとか。
トヨタにとってレビン最後のFRモデルとなるAE86は、ユーザーが扱いやすい事を前提に開発されたモデルのようです。
]]>トヨタはそれまでセリカの上級車種として6気筒エンジンを搭載し、セリカXXの名前で販売をしていました。しかしアメリカでは成人映画をあらわすXX表記が嫌われ、スープラの車名でデビューしていたのです。
日本でもこの世代からスープラになったのは、すでにセリカとはコンセプトが変わってしまったからとも言えるでしょう。
A70系スープラはソアラとプラットフォームを共有していますし、エンジンも7M-GTU型の3.0L直列6気筒ターボが最上級車種には搭載されています。
まさにスポーツカーというよりもGTカーといった印象で、事実トヨタはスープラのキャッチコピーを「TOYOTA3000GT」としています。
セリカはレビン・トレノを大人にしたラグジュアリーなスポーツカー、スープラはソアラと共に大人のGTカーといった位置付けがされていたようです。
もっともエクステリアはGA60/MA60系のキープコンセプトタイプで、ソアラに比べるとスポーツカーとしてのデザイン主張がかなり色濃くなっています。
また3.0Lモデルには輸出仕様と同じブリスターフェンダーの、3.0GTリミテッドも登場。スープラは、本格的なワイドボディー化が進められます。
]]> そして1989年8月にはワイドボディが1G-GTEエンジン搭載車にも登場し、3.0LターボにはTEMS(電子制御のダンパー)を省略するなど、廉価版というよりも走りにふった3.0GTターボSも登場します。A70系スープラは最終型とも言える頃になると、税制を配慮して作られた2.5Lエンジンも搭載されます。
マークⅡでもお馴染みの1JZ-GTEツインターボで、280馬力を誇るトヨタの名機が搭載されたのです。
このエンジンの搭載により3.0Lエンジンモデルは廃止され、スープラは2.0Lと2.5Lエンジンに統一されます。
まさに当時のマークⅡ3兄弟と同じ構成になり、量産メーカーのトヨタらしいラインナップといえるでしょう。
またグループAに参戦するため、7M-GTEのターボAが発売されたこともありました。レースではデビューウィンを飾りましたが、その後は設計の古い7M型だけに、苦戦を強いられていました。
やはりA70系のスープラと言えば、最終モデルのターボRに人気があるようです。今でも中古車市場で見かけると、高額な取引がされています。
A70系スープラはトヨタが作ったGTカーであり、スポーツカーとしてのエクステリアはまさに定番デザイン。
A70系スープラの持つ美しさには、トヨタもこのような遊び心のあるスポーツカーを作っていたのだと、思わず感心させられます。
]]>T200型セリカの特徴は、全車が3ナンバーのサイズになったことです。それまでの小型車枠を超え、FF4気筒のスポーツカーとして、より豪華なデザインを身にまといます。
それでも新開発のシャシーのおかげで、むしろ先代モデルよりも軽量化されています。
エンジンはハイメカツインカムと呼ばれる3S-FEと、スポーツツインカムの3S-GEが搭載されます。
またセリカのサスペンションにはトヨタのFF車に多く採用された、スーパーストラットサスペンションがSS-IIグレードに採用されます。
このスーパーストラットサスペンションを搭載したMT車には、ビスカスLSDやスポーツABS(オプション)など、足回りにこだわった開発がされています。
それまでは高出力エンジンに目が行くセリカでしたが、足回りのバランスを考え出したのがT200型なのかもしれません。
]]> セリカT200型はボディが大きくなりましたが、それはデザイン面だけではなくクルマの足回り強化にも繋がったのでしょう。またGT-FourはST205型となり、フルタイム4WDにスーパーストラットサスペンションが装着されます。
そしてブレーキは対向4ポット、対向2ポットのアルミキャリパー4輪ベンチレーテッドディスクが装着されます。
しかしWRCラリーでは苦戦し、ツールドコルスでの一勝にとどまってしまいます。先代のT180型以上の期待をされたものの、セリカは思った活躍が出来ませんでした。
そのほかではT200型セリカにもオープンモデルが存在し、コンバーチブルとして販売されていました。セリカコンバーチブルはST202C型となり、この世代でオープンモデルは最後となっています。
そしてセリカにはライト周りのデザインを変更した、カレンという車種も販売されていました。わずかな時期ですが、セリカにも兄弟車が存在したのです。
]]>TE71型のトレノは2T-G型エンジンが搭載された最後のモデルで、TE27型の頃のようなスポーツ性能には及びませんでしたが、そのスタイルから人気を得ていました。
当時はどの国内メーカーも排気ガス規制をクリアでき、インジェクションの完成度が上がっています。トレノもEFIを採用して、キャブレターとは違った新たなスポーティーさを演出しています。
またこのTE27型のトレノは、レビンと同じように3ドアハッチバッククーペのみスプリンタートレノの名称が与えられています。
他にも同じエンジンを搭載した2ドアのハードトップモデルが存在しますが、こちらはGTと呼ばれています。
また他にもセダンとリフトバックにもGTモデルが存在し、トレノだけがスプリンターのスポーツバージョンといった図式ではなくなっています。
]]> またAE70型と呼ばれる、3A-U型1500ccSOHCエンジンを搭載した3ドアハッチバッククーペも存在していました。こちらはスプリンターSRと呼ばれ、主にスタイルを重視した女性向けに販売されていたようです。この時代のスプリンタートレノは他のモデルとの境界がボディ形状のみとなり、後に発売されるAE86型に比べるとやや陰が薄い印象です。
また名機と呼ばれる2T-G型エンジンにしても2バルブのDOHCであったため、やや古い印象を受ける感じです。
この世代は時代がFRからFFに向かう中で、トレノを除くスプリンターシリーズ最後のFR集大成でもあったのです。
もっともそれでもスプリンタートレノとしては、TE71型の人気があったからこそ、その後人気がブレイクするAE86の開発へと繋がったともいえるでしょう。
いずれにしてもTE71型トレノは、後に起こるハイパワー戦争の前にあった世代。本格的スポーツカーへの、夜明け前とも言える時代のクルマなのです。
]]>このST180型のセリカは1993年まで製造されますが、国内での販売としてはあまり多くなかったようです。
それでもトヨタはGT-Fourのリアデフに、日本車初となるトルセンLSDを装着。フルタイム4WDとして、更なる進化をさせています。
また4WSと呼ばれる後輪が操舵するシステムを搭載するなど、販売のライバルになるホンダのプレリュードを意識するような装備を搭載しています。
他にもTYPE-Gには本革シートを用意するなど、一クラス上の装備を与えています。セリカはレビン/トレノとダブルエックスの中間にある車種として、独自の道を歩み始めたのです。
また輸出仕様に存在するクーペをベースとした、ST183C型のコンバーチブルを追加。オープンカーを求める層にたいしても、シッカリアピールをしていたのです。
]]> そしてこの当時はワイドボディ化が流行り始めた頃でもあり、GT-FOURAと呼ばれるブリスターフェンダーを持つグレードも登場します。GT-FOURアドバンスはST185H型の型式になり、より曲線を強調したマッシブなデザインとなったのです。
そしてST180型セリカはラリーでも活躍し、WRCに参戦を始めます。GT-GourRC(ラリーコンペシション)と呼ばれる、ホモロゲーションモデルが5000台生産されます。
日本では1800台が販売され、輸出モデルは当時のラリードライバーである、カルロス・サインツの名前がついていたそうです。
このGT-FourRCは水冷式インタークーラーターボで、タービンはセラミックからメタルへ変更。ライバルのランチア・デルタHTインテグラーレに勝ち、WRCのメイクスとドライバーズをトヨタは手に入れます。
国内販売ではあまりパッとしなかったセリカST180型ですが、モータースポーツの世界、WRCラリーでは燦然たる実績を残したのです。
]]>セリカのようなスポーツカーは、本来FRのレイアウトが取られており、AE86時代まではカローラレビン・スプリンタートレノもFRでした。
それにたいしてセリカはいち早くコロナ・カリーナのフロアパンをベースに、FFレイアウトとなってしまったのです。
かつてDOHCでなければGTは語れないといっていたセリカが、いつしかFRを捨てることになったのは何とも皮肉な結果と言えます。
デザインは流面形と呼ばれる曲線を強調したラインで、トヨタはセリカST160/AT160系をスポーツカーと言うよりもファッショナブルなGTクーペとして開発したようです。
実際にこの当時はデートカーと呼ばれる車がヒットし、トヨタのセリカ、ホンダのプレリュード、日産のシルビア、この3車のいずれかがヒットする流れになっていました。
]]> もっともトヨタはセリカに走りの心を注がなくなったわけではなく、1986年にはベベルギア式のフルタイム4WDを開発。2000CCのツインカムターボを搭載した、GT-FOUR(ST165型)をデビューさせています。このST165型セリカGT-FOURを、トヨタは1988年にWRCに登場させます。ラリーマシンとして、セリカはモータースポーツにデビューするのです。
1990年にはカルロス・サインツをドライバーに向かえ、日本車初のドライバーズタイトルを獲得しています。
このときWRCに参戦するにあたってX-TRAC製6速ミッションが用意されるなど、トヨタは万全の体制での勝利だったのです。
また当時はスキーブームになりセリカGT-FOURに乗り、カップルでスキーに行く若者も多く存在しました。映画「私をスキーに連れて行って」で、白いGT-FOURが採用された効果のようです。
それを見ても分かるように、ST160/AT160系のセリカはデートカーとしての人気が高く、先代モデルまでのような男らしいスパルタンな車とは路線を変えているようです。
]]>トヨタは1979年3月に、カローラレビンをフルモデルチェンジして、3世代目のモデルを発表。エンジンはTE27から搭載され続けている2T-G型を、より進化させてTE71に積んでいます。
エンジン型式は2T-GEU型で、4気筒DOHC8バルブにEFI(電子制御式燃料噴射装置・触媒搭載)を組み合わせています。
この2T-GEU型エンジンは、キャブレター時代に比べるとマイルドな味付けとなっています。
この世代のカローラは、定番の4ドアセダン以外にも多種に渡るボディを持ちます。
2ドアハードトップと呼ばれるノッチバックタイプ、ハッチバッククーペとリフトバックの3ドアハッチバックです。
それぞれのボディスタイルごとに、2T-GEU型エンジンが搭載モデルが設定されていました。このTE71型が、トヨタ車で最後の2T-Gエンジンを搭載した世代となります。
]]> これらの多種に渡るボディ形態のなかで、カローラ"レビン"と呼ばれたのは、3ドアハッチバッククーペの2T-GEU搭載車だけです。そのほかのボディタイプである、4ドアセダン、2ドアハードトップ、リフトバックの2T-GEU搭載モデル達は、GTのグレードとなります。
同じエンジンを搭載したカローラですが、トヨタはこの時代のレビンは3ドアハッチバックで、ホットエンジンを搭載したモデルに限定していたのです。
カローラレビンはモデルチェンジ後になる後期型で、エンジンに変更を受けています。このエンジンは当時トヨタがラインナップを進めていた、俗称レーザーエンジンと呼ばれるシリーズです。
レーザーエンジンとなった2T-GEU型の変更点は、シリンダーヘッドが多球式に改められたことです。
この後期型のレビンからは新たに、SとAPEXがグレードに追加されています。AE86へと繋がるTE71型ですが、キャブからインジェクションなど、過渡期のスポーツカーとも言えるでしょう。
]]>1981年7月にセリカはモデルチェンジを受けて、3世代目へシフトします。当時のセリカに与えられたキャッチコピーは、「世界、新CELICA」です。
この時代になるとソアラが誕生したため、ターゲットはより若い世代へ移行します。同時期に販売されているセリカXXシリーズ(GA60/MA60系)は、セリカの上級バージョンとしても人気を集めていました。
セリカはデビュー当時、ポップアップ式のヘッドランプを装着していました。これは日本車では初の試みで、「平目のセリカ」の愛称がついています。
また全体的には4気筒エンジンを活かした、ショートノーズを採用。直線的なラインでウェッジシェイプを描くボディは、好き嫌いがはっきり分かれるデザインでした。
この世代のセリカも、LB(リフトバック)とクーペの2種類を用意しています。この辺りはライバルとなる日産のシルビア/ガぜールと同じ手法です。
1983年のマイナーチェンジでは、ヘッドランプはリトラクタブル方式に変更されます。いわゆるヒラメ時代のセリカは、とても台数が少なく後に希少価値から人気になったようです。
]]> この当時のトヨタはラリー活動を視野に入れており、1982年にWRC(Group B)のホモロゲーション用として、セリカGT-TSが200台限定で販売されています。1982年までは最高出力240psのRA63型を使ってWRCに参戦、1983年からは日本初のツインカムターボエンジンである3T-GTEU改を、さらに2090ccまでボアアップした370psのTA64型のセリカでWRVに参戦しています。
その結果セリカは1984年から1986年まで、サファリラリーで三連覇の偉業を成し遂げます。当時はGroupBと呼ばれる、ドライバーがコントロール出来ないようなモンスターマシン旺盛の時代。
この時代にサファリラリーで三連覇を飾ったのは、トヨタにとって世界にセリカの名を広めるために役にたったに違いありません。
1983年8月のマイナーチェンジからはドアミラーが標準装備されています。また1600GTにつまれているエンジンが、2T-GEUから4A-GEUに変更されています。
60扁平タイヤを装着するなど、当時としては斬新な先鋭モデルでした。ただしこの当時はセリカXXに人気が集中し、ライバルの日産シルビアも売れた為、セリカの売れ行きはあまり良くなかったようです。
また北米ではTA61をベースにしたコンバーチブルを発売し、日本でも250台限定で発売されました。トヨタは常にセリカに最新のデザインやテクノロジーをつぎ込んでいたのです。
]]>Z30ソアラは、Z10系からZ20系がキープコンセプトであったのに対し、エクステリアデザインを刷新しています。ソアラの名前だけ継承した、まるで別物の高級スポーツクーペとなったのです。
まさにバブル経済末期の、自動車メーカーが行き過ぎたデザインに明け暮れた当時の自動車でもあるのです。
保守的なデザインが多いトヨタにしても、ソアラのデザインは驚くほどの斬新過ぎるものを選んだようです。
ボディサイズも3ナンバー専用となり、直線基調から曲線基調へ変更。エンジンはV型8気筒DOHCで260PSを発揮する4000ccの1UZ-FE型と、直列6気筒DOHCツインターボで280馬力を発揮する2500ccの1JZ-GTE型を搭載。
このエンジンバリエーションとボディの大きさからも、Z20系とはまるで別物の自動車になったといえます。
ソアラZ30系の前期モデルの足回りには、アクティブサスペンションが採用されています。このサスペンションはコーナーリング時でもほとんどロールしないものでした。
]]> トヨタはZ20系までのソアラを、日本市場で高級クーペとして販売していたのですが、Z30系からはレクサスのモデルとして北米での発売を開始しています。それまで日本を主戦場としたソアラですが、北米での販売が中心となったのです。そのためにCALTYと呼ばれる、カリフォルニアのトヨタデザインセンターでデザインされています。
アメリカではLEXUS SCとして発売され、北米を中心とした市場で評判は上々だったようです。
しかし国内ではそれまでソアラを所有していた層からは決して受け入れられることはありませんでした。
もっともZ10系、Z20系を乗り継いだソアラオーナーとは別の層に、Z30系の個性的なデザインにコアなファンがついたのも事実です。
現在でも中古車市場では、1996年8月以降の通称3型と呼ばれるモデルが人気になっています。
ソアラは元々が高級クーペですから、装備や質感は高く中古車市場でも一定の人気を得ています。
Z30系ソアラはマイナーチェンジを繰り返しながら、約10年と言う長いモデルサイクルの車となりました。スポーツクーペの中でも国産車にない迫力を持ち、独自の路線を貫いた車でした。
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