トヨタ2000GTの歴史 -2



FRPのパーツ類担当は新居工場で、内装パネル関係を担当したのは日本楽器製造株式会社です。ボディのプレスに関係する仕事は北川自動車工業株式会社(後のヤマハ車体工業、平成5年4月にヤマハに吸収合併)が担当しています。

トヨタ2000GTはヤマハが開発から製造まで行なっているため、アンチトヨタ派からはトヨタは2000GTは自社開発ができないトヨタが、ヤマハが開発・生産したスポーツカーを買い取っていたに過ぎないといわれます。

またなかにはこれは実際には「ヤマハ2000GT」と言うべきではないのかとまで言われ、トヨタが開発・生産していないことに対しては、批判の声も多いようです。

実際に両社の開発分担というものが、厳密にはどのようなものだったのかについては諸説が流れています。しかし確かなのは、トヨタ2000GTの開発・生産について、ヤマハが著しく寄与したことは事実と言えるでしょう。

この件に関してヤマハ発動機側の発表は、2000GTの開発についての言及に対して「ヤマハの技術供与」という表現を用いているに過ぎません。

また楽器メーカーが前身であるヤマハは、材料となる良質木材の取り扱いに長けていました。この経験が、ともにローズウッド製となるインストルメントパネルとステアリングの材料供給・加工に役立っています。

残念ながら当時のトヨタはDOHCのノウハウも、本木目内装の経験も乏しかったこともあり、ヤマハの力を借りなければ、名車トヨタ2000GTは開発できなかったのです。

結果はどうであれ、トヨタ2000GTは日本が世界に誇る名車として歴史にその名前を刻んでいます。

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