トヨタ自動車の開発思想
トヨタ自動車の開発思想として有名な言葉に、「80点主義」があります。元々は初代カローラの開発主査である、長谷川龍雄氏が打ち出した考え方です。この考え方の源流は、初代のパブリカの販売不振から始まっているそうです。
パブリカはトヨタ自動車が、1961年に量産大衆車として発売。その開発期間には、6年を費やしたのだそうでです。
しかしパブリカは実用性の高さを追求したところ、思ったように売れませんでした。
シンプルイズベストが受け入れられ無かったので、ラジオやヒーターを追加したデラックスモデルを発売すると、販売は一気に伸びていったのです。
このパブリカの販売実績を元として、初代カローラにはすべて必要なものを揃える開発思想へとチェンジ。ただし特に何かに特化した開発をしない事をプラスしたため、まさに80点主義で作られたクルマが誕生したのです。
その後もトヨタは他のメーカーに先立ってオートエアコンや、4速のオートマチックトランスミッションを取り入れる等、必要不可欠な装備をすべての車種に取り入れる開発を続けています。
最近では当たり前になったカーナビも、いち早くラインナップを広げたため、コンパクトカーに乗ってもセルシオに引けを取らないような装備が充実しています。
最もこの80点主義のクルマ作りに関しては、何処かとがったところがないとも言われています。それゆえにトヨタのクルマは実用的ながら、スポーティーな走りは出来ない等のイメージも強かったようです。
しかしながら日産のプリメーラと全面対決になったグループAのツーリングカーレースでは、80点主義の「オジサンクルマ」と思われていたコロナが圧勝したときには世間をアッと言わせています。
まさにトヨタ自動車は、能ある鷹は爪を隠すような味付けをしていたということでしょう。大衆車のカローラにしても、ラリーで活躍した実績を持ち合わせています。
現在のトヨタ自動車ラインナップを見ると、走る止まる曲がるといった自動車の3原則以外にも、エアコン、パワステ、オーディオなどはすべて装備されており、もはや80点主義とは言えない充実が図られています。
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